治療を受けたことを忘れてしまうくらい、       毎日普段通りの生活をしています。

旅行が大好きで、これまで世界各国を旅してきた松本みつ子さん。しかし6年ほど前に、激しい息切れに悩むことが多くなり、少しの距離を歩くのも困難なほどになってしまいました。その後、病院で大動脈弁狭窄症と診断され、しばらくは薬による内科的治療を受けながら定期的に病院を受診していました。しかし3年ほど前に、早急に外科的な治療が必要だと告げられました。そこで息子さんが調べてきた榊原記念病院を受診して、副院長・循環器内科部長の高山先生と循環器内科部長の桃原先生に出会い、2010年、81歳で、当時はまだ治験中だったTAVI(経力テーテル大動脈弁治療)の、経大腿アプローチによる治療を受けました。その際の貴重なお話を、先生も交えてうかがいました。(インタビュー実施:2013年8月)

治療を受けたことを忘れてしまうくらい、
毎日普段通りの生活をしています。

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心配だった手術の後

最初に、松本さんがご自身の体調の変化にお気づきになったきっかけを教えて頂けますか?

松本みつ子さん きっかけは、前は平気だったのに、買い物に行くときなどに7~8分も歩くとすぐに苦しくなってしまって立ち止まるようになったのです。それで途中、ちょっと休んで深呼吸を2~3回して、それからまた歩き出して、というのをはじめのうちは繰り返していました。

松本辰雄さん それが、6~7年前からですね、起こるようになりました。それで病院に行って、大動脈弁狭窄症だとわかってずっと薬はもらっていたのですが、いずれ手術をしなきゃ治らないとは言われていたのです。それがしばらく経つと、病気の進行具合を大中小に分けるとすると中と大の間くらいになってきて。もう今年中に手術しないとダメだと病院で言われたのです。ちょうど3年前のことです。

松本みつ子さん 趣味の旅行にも、そのころは全然行けなくなっていました。

それはお辛かったですね。その後、榊原記念病院を受診されたのですか?

松本みつ子さん 息子がいろいろと調べて、手術するなら榊原記念病院は心臓の専門だから良いだろうと言うのです。それでこちらにうかがいました。そうしたら高山先生にもあと2年ですよと言われて。ほかの病院でもそう言われていたのですが、(榊原記念病院でも)切らなければもう2年持ちません、と。しかもその2年も毎日どんどん苦しくなっていって、最後はもう終わりです、と言われたのです。

それで、手術を受ける決心をされたのですね。

松本みつ子さん はい。ただ、(胸を指して)ここを切るのは嫌だ、と思って。

松本辰雄さん 手術の後が心配だったのです。81歳ですからね。手術ということはその後はなかなかうまく回復しないだろうと思っていたのです。

ここに掲載された情報は、あくまで一般的な解釈に基づき疾病・治療法情報を提供する目的で作成されたものであり、 特定の手技等を推進するものではありません。個々の患者さんの診断および治療方法については、必ず医師とご相談ください。

登場者プロフィール

  • 患者さん

    松本 みつ子さん
    (84歳)

  • ご主人

    松本 辰雄さん

  • 監修

    高山 守正先生
    榊原記念病院
    副院長・循環器内科部長
    1977年 日本医科大学卒業
    1994年
    日本医科大学附属病院
    集中治療室講師

    2007年
    榊原記念病院 循環器内科部長

    2009年
    榊原記念病院
    副院長・循環器内科部長

  • 監修

    桃原 哲也先生
    榊原記念病院
    循環器内科部長
    1989年 久留米大学医学部卒業
    1989年
    東京女子医科大学
    日本心臓血圧研究所 循環器内科

    1996年
    榊原記念病院 循環器内科医長

    2005年
    榊原記念病院 循環器内科副部長

その他のストーリー

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